オリンピックと「多様性と調和」とリスクコミュニケーション

オリンピック東京開会式から1週間が経とうとしています。世界各国から選ばれた選手のみなさんには、ケガ・病気などなく競技されることを祈っています。来日した海外のメディア関係者の方が日本のコンビニエンスストアやデリバリーのお寿司に感動して発信されているのも話題になっているのは、微笑ましいです。

長野大会の思い出

前回日本でオリンピック・パラリンピック大会は、1998年の長野大会です。当時、私はアメリカに滞在中で、新聞やテレビが長野や日本のことを伝えているのを見ていたのを思い出しました。途中、マクドナルドのCMでは、スキーのジャンプ選手がジャンプ台からそのままふもとのマクドナルドまで直行するというものが印象に残っています。

また、地元紙では「長野」の発音についての記事があり、英語だと「ガ」にアクセントがおかれますが、「それじゃまるでミラノだ、日本人は『ナ』にアクセントをおくのだ」といったことが紹介されていくのですが、最後の、記事掲載当時にアメリカの大学で教えていらっしていた日本人の方の「どっちでも日本人には伝わります」というコメントが秀逸でした。その新聞記事はあまりに面白かったので、切り抜いて日本に持ち帰りました。

「多様性と調和」とは何だったのか

一方で、新型コロナウイルス感染拡大という世界的な危機以外にも、組織委員会でのジェンダー不平等、開会式に関わっている人たちの人権意識の問題が問われる事態が続きました。ここ数日でも、大会会場での大量の弁当廃棄や、セネガル出身の打楽器奏者の方の開会式でのパフォーマンスが「なんでアフリカ人いるの?となるので・・・」となくなったりなど、多様性と調和持続可能性コンセプト ”Be better, together”からも見直していただきたい点があります。「大会が終わればそれでいい」のではなく、これからの日本社会が変われるかどうかが問題です。

開会式の放送を少し見たのですが、手話通訳がなかったのが気になりました。字幕(キャプション)は、視聴する側でつけられるかもしれませんが、こちらも放送されるときに元々ついているほうがいいです。

「多様性と調和」とはいったい何なのか、自分たちは何をもって多様性と言い、何と何を調和させるのかについて、十分な議論があったのかどうか。そして、これは日本の社会でも議論は十分になされていないということだと、あらためて感じました。耳障りがよく、多様性に異を唱えると差別的な人間だと思われないかと、根本的な議論がされにくくなっていないでしょうか。

リスクコミュニケーションの重要性

東京での新型コロナウイルスの新規感染者数が、はじめて3,000人を超えた28日、小池百合子都知事の取材対応は約30秒の対応菅義偉首相は秘書官を通じて「お答えする内容がない」と取材対応をしませんでした

3,000人という数字を見て不安に思う人もいます。一方で「死者数は減っている」、「かかっても治る」と考える人もいます。変異株の感染力に、いままでのマスク・手洗い・うがい・外出自粛などをしてきた人たちのなかには「ほかに何をしたらいいのだ」と思う人もいます。「なぜオリンピックでは許されていることが私たちにはできないのか」と不満に思う人たちもいます。このような混沌とした状況で、リスクコミュニケーションが果たす役割は、本来とても大きいです。

安心・安全な大会の実現可能性を強調されていた菅首相には、メディア対応をしていただきたかったと思います。以前、リスクコミュニケーションについて前編後編と分けて簡単にご紹介しましたが、リスクに関する情報を共有し、リスクへの不安をできるだけ取り除き、適切に対処できるよう協働し考えていくための意思疎通がリスクコミュニケーションです。メディアを通じて、首相は私たちのコミュニケーションをとっていただきたいものです。残念なことに、おふたりとも、メッセージを受け取る都民や日本にいる人たちからの理解を得る機会をふいにされたと思います。何を言っても理解や同意を得られないと、思っていらっしゃるのでしょうか。

放送大学の科目(一部)が公開されています

4月から先日まで、放送大学の科目を履修したのですが、リスクコミュニケーションに関する科目も履修しました。現在、放送大学のウェブサイトで、講義の一部が「オープンコースウェア(OCW)」として無料配信されています。リスクコミュニケーションに関する科目(02 ラジオ → 02 授業科目一覧(1回分のみ公開→054 リスクコミュニケーションの現在(’18) 1519085p と、たどってみてください)は初回だけの配信ですが、ご関心ある方は、サイトご覧になってみてください。

(中原)