リスクコミュニケーションを考える(後編)

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前回は、「リスクコミュニケーションを考える」の前編を投稿しました。今回は、後編です。

リスクの捉え方の例

科学的な根拠に基づいて「安全です」と言っただけでは、相手に安心してもらうことは困難です。しばしば、情報の発信側と受け手側には、当該リスクに関して持っている知識や情報に差があるだけでなく、そのリスクに対して情報の受け手が抱く感情にも差があります。これらの要因が、そのリスクを受け入れられるかどうかという「リスクの捉え方」に影響するのです。

文部科学省の「リスクコミュニケーションの推進方策」(2014年3月)では、人がリスクを受け入れられるかどうかは、「リスクをどう捉えるか(リスク認知)」に基づいているとしています。そのリスク認知のモデルの1つとして、

リスク = ハザード + アウトレージ

という考え方を紹介しています。ここで、リスク、ハザード、アウトレージはそれぞれ次のように定義されます。

ハザード:何らかの危害(損害・損失)をもたらす原因
アウトレージ:怒りなどの感情的反応をもたらす因子
リスク:危険度、危害の蓋然性。「危害の深刻さ」と「確率」の積
(安全・安心科学技術及び社会連携委員会『リスクコミュニケーションの推進方策』)

ハザードの値を左右するもの

新型コロナウイルス対策を例にとってみます。新型コロナウイルスの感染(拡大)リスクを減らすために、政府や自治体は営業や社会生活の「自粛の協力」を要請しています。これらはハザードを小さくするための措置です。ワクチン接種も同様です。これらの措置の結果、上記の式のうちハザードの値が小さくなり、感染(拡大)のリスクや、感染しても症状が重くなるリスクは小さいと人々が捉えることができるかもしれません。

しかし、私たちには、感染拡大防止対策を取ることによる経済的なリスクや社会的なリスクなどもあります。感染防止対策を講じた結果として、営業短縮・自粛の結果、業務が続けられなくなる、会いたい人に会ったり外食や旅行を楽しんだりすることができなくて寂しい、などのマイナスの影響もあるわけです。逆に自粛「要請」に応じない結果、協力金を得られなかったり、周囲から批判されたりするかもしれません。また、社会的に感染拡大が止まらないということもあり得ます。最悪の場合は亡くなってしまったり、幸い命はとりとめても後遺症に悩まされるということも考えられます。ワクチンの副反応も考えられます。

さまざまな角度から、ハザードが検討できると言えます。

無視できない「受け手の感情」

しかし、ウイルスに対しての恐怖や、ウイルス感染拡大防止の対策などへの不公平感や怒り、あるいは絶望などの感情が大きければ、ハザードの値は小さくできてもアウトレージの値が大きくなり、その人や組織にとって、そのリスクを受け入れるのが難しくなります。「こちらは生計への危機を感じているのに、治家や公務員は大人数で会食したという報道があれば「なぜあの人たちはよくて私たちはだめなのか」という不公平感も生まれ、アウトレージの値は大きくなります。

したがって、ハザードを減らしても、アウトレージを減らす努力をしなければ、人々のリスクへの捉え方のふり幅も大きくなるわけです。最近の緊急事態宣言下、「自粛に従いません」と宣言して営業を続ける店舗等が増えているように思えます。そういう報道をたまたまよく目にしているだけなのでしょうか。実態はわかりませんが、ウイルスの感染拡大のリスクより、企業の存続や生活へのリスクの方が受け入れがたいと感じる人や組織が出てきていることも一因ではないでしょうか。政府や自治体のリスクコミュニケーションのあり方にも一因があるのではないかと、つい、思ってしまいます。

NPOに無関係ではない「アウトレージ」問題

この「アウトレージ」に関する問題は、「社会にいいことをしようとしているはず」と思われているNPOのリスク・マネジメントにおいて避けては通れない問題です。

たとえば寄付金の詐欺や使途不明金や活動中の死亡事故、パワハラやセクハラなどの問題が明るみにでると、当該団体だけでなく、あたかも非営利セクター全体に問題があるかのように思われます。一企業の不祥事や事故だけでは、その業界や企業セクター全体に対して「だから企業は信用できない!」とはなりません。NPOの場合は、自分たちに問題がなくても「やっぱりNPOってうさんくさい」と言われてしまったり、他団体の寄付金の管理のまずさが自分たちの団体への寄付金額の減少につながったりします。

不祥事ではなくても、周囲の住民に理解を得られにくい活動やそのような活動のための施設などでも、ハザードの値が小さくてもアウトレージの値が大きくなる場合もあります。かつてのハンセン病療養所などが一例です。最近でも、都内でも児童相談所の建設に対して「自分の土地や住宅の資産価値が下がる」などを理由に住民が反対した例があります。これは決して都内だけの例ではありません。

NPOの活動が社会にとって必要(ベネフィットがある)なものだとしても、このアウトレージの問題を考えて、アウトレージの値を低くするための情報開示や啓発活動、対話などを丁寧にしていく必要があります。「自分たちは社会にいいこと/正しいことをしているのだから、みんな私たちに賛同して、応援するのが当たり前だ」という考え方では、決してこのアウトレージの値は小さくなりませんし、みなさんの活動に対して自分が感じるリスクというのは決して受け入れられるものにはなりません。そんな言い方はしません、と思われる方も多いかもしれません。たしかに、直接的にこういう言い方をするNPOはほとんどないでしょう。しかし「自分たちがやっていることは正しいのに理解を得られないのは相手に問題がある」という雰囲気を醸してしまっているケースは、残念ながら珍しくないのです。リスクコミュニケーションが求められています。

リスクに関するコミュニケーションだけがうまくできるということは、まずありません。自分たちの活動が社会で受け入れられる、あるいは少なくとも強く反対する人を減らすには、自分たちを支援してくれる人たちだけでなく、さまざまな人たちとのコミュニケーションや「ご近所づきあい」も大切です。

クライシス(危機)のなかで

リスクコミュニケーションについて少しご紹介しました。リスクコミュニケーションで一番重要なのは「伝える内容」です。とくに、コロナ禍のような危機にある場合のコミュニケーションは、本来は千差万別であるリスクの捉え方を、「コロナ禍からの早期脱却のため」に人々の間で共通認識をもって行動し、早く危機の状態を抜け出し、次の段階に進むために重要です。

また、危機への対応には、今までとは違う手法を取ることなど、危機に対応するためにある程度のリスクを取ることが必要です。したがって、少々の判断ミスや運営上のミスを恐れずまたミスをした人をことさらに責めない方がよいこともあります。真摯に取り組むプロセスのなかで起こってしまったミスについては、ミスを減らすために検証や再発防止をする、つまり「走りながら考える」こともあるのです。やみくもに走られては困りますが・・・。

最近では、新型コロナウイルスワクチン接種の際のミスなどが報道されています。もちろん細心の注意や管理のもと接種が行なわれるべきなのですが、それでもミス(ヒューマンエラー)は起こります。隠蔽されてもっと深刻な被害をもたらす結果にならないよう「森を考えるために木を見ている」姿勢を持ちたいものです。

(中原)