リスクコミュニケーションを考える(前編)

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日本でもすでに1年半近く続いているコロナ禍。非常事態がこれだけ長く続くのは、経済的にも社会的にも、私たちの生活に多くの犠牲や制限やガマンが強いられます。これだけコロナ禍が続き、毎日の報道の大部分が「コロナ関連」になってしまうと、「非常事態」が「常態」となってしまい、政府や自治体の「自粛要請」の効果は薄れている気もします。

自粛要請の効果が薄れてきている理由は自粛疲れだけでなく、経済的なものや社会的なものに起因する部分もあると思います。本来なら率先して自粛を継続していてほしいと人々が期待する政治家や公務員などが会食していたとか、(とくに2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会開催関連と他のイベントやビジネスとの)一貫性がないように思われる政策や方針など、リスクや危機へのマネジメントやガバナンスの「そもそも」の問題もありますが、「伝える・伝わってくる」ことへの不公平感や不信感なども影響しているのではないでしょうか。首相や知事などの会見を見ていると「もっと別の伝え方があるのではないだろうか?」と感じることがあります。

そこで、今回はリスクコミュニケーションについて、少しふれてみようと思います。記事が長くなってしまったので、2回に分けて投稿します。

リスクコミュニケーションとは

リスクコミュニケーションは、あくまでもリスク・マネジメントの一部です。リスクコミュニケーションにはさまざまな定義がありますが、「あるリスクに関する情報を、情報を共有すべき人たちと共有し、リスクに対する不安などをできるだけ取り除き、適切な対処ができるよう、双方向に意思疎通をしながら協働して考えていく」ことと言えます。

リスクコミュニケーションというと、表情や口調、言葉遣い、服装、髪型、目線、身振り手振りをどうするか、マスコミからどのような質問が来そうで訊かれたらどう答えるかといった「広報(PR)」面に注目する部分もありますが、それはリスクコミュニケーションの一面にすぎません。また、「口八丁手八丁で相手を説得できればいい」というものでもありません。また、普段からのガバナンスやマネジメント、コミュニケーションのあり方が、危機時に凝縮した形で見えてきます。

大切なのは「誰が、何を、誰に対して、いつ、何のために、どのように」伝えるかという5W1Hだけではありません。とくに、伝える相手にもある程度の行動の変容を求める場合には、この「伝え方」にも注力する必要があります。伝える相手からの意見や質問、不安、怒り、期待などをどのように受け止めるかといった、双方向の対話や協働なども大切な要素になります。

リスクコミュニケーションの重要性

菅首相や政治家、自治体の首長などと私たちが双方向でコミュニケーションを取ることはなかなかできません。(だから「しなくていい」とは言いません。)そこで私たちは、たとえば国会での答弁や記者会見での記者からの質問への回答などで、疑似的に菅首相などとのコミュニケーションを体験している側面があります。その受け答えの内容や、受け答えの際の表情やジェスチャーなどで、私たちは発言内容以上のものを感じとります。ときには、情報の送り手の意図とは異なる印象さえ与えてしまいます。

新型コロナウイルス感染拡大防止のために、私たちは政府や自治体からさまざまな自粛要請をうけたり、行動が制限されたりしています。多くの人が「自分も感染したくないし、誰かを感染させたくない」と思い、そのためには多少のガマンはしかたないとも考えていると思います。しかし、自粛要請や行動への制限の内容や、自分がそれに従っていられる程度や期間がどれくらいかといったことは、人によって異なります。不公平感、また新型コロナウイルスに関して持っている知識・情報やこのウイルスに対して感じている恐怖なども同様です。それでも「もう少しの間、政府や自治体の要請に協力しよう」と人々が思い、新型コロナウイルス感染拡大を社会的に抑えるために、伝える内容と伝える方法は、重要な要素の両輪と言えるでしょう。

つまり、たとえ情報の受け手にとっては不利な内容が含まれていても、受け手が情報に納得したり、発信者が期待する行動変容が受け手におきたりするには、発信者を信頼してよいと思えることが受け手には必要だということです。

いったん、ここで記事を終えます。後日、つづきを投稿しますので、ぜひ後編もご覧ください。

(中原)