心理的安全性とリスク・マネジメント
最近、一部で「心理的安全性」という言葉をよく目にします。「何をしても安心」ということかな、と思う方もいらっしゃるかもしれません。ある意味アタリで、ある意味ハズレです。
心理的安全性とは
「心理的安全性」とは、「やりたいように楽しくストレスなくテキトーに組織に所属していればいい」という意味ではありません。「何をしててもいいよ」ということではないのです。「何を言っても、そのことを批判されたり、嘲笑されたり、発言したこと自体を拒絶されない」状態です。「なぁなぁ」な仲良しグループの状態ではなく、思ったことを言ってもいいんだと思える状態です。疑問やミスを共有し、そこから改善策を話し合いながら、組織としても組織のメンバーとしても学び、新しいものを作っていける組織文化をつくるのに欠かせない要素の一つだと言えるでしょう。
リスク・マネジメントと心理的安全性
リスク・マネジメントにおいて、心理的安全性はとても大切です。「なぜこんなことが分からないんだ」「なぜそんなミスをするんだ」という反応がかえってきたら、人は質問や報告をすることをためらうようになります。すると、有益な情報も飛び交わなくなります。「心理的安全性があればミスをしない」ということではありませんが、「どういう状況でミスが起きた」という情報が共有されれば、同じミスを繰り返さずにすむかもしれないのです。
リスク・マネジメントの世界では、「ハインリッヒの法則」という話をよくします。「1対29対300の法則」とも言われますが、かつてアメリカのハインリッヒ氏が、労働事故を調べていて「1つの重大な事故の背後には29の中程度の事故、さらにその背後には300の軽微な事故がある」という傾向を見つけました。これをもとに、いかに300の軽微な事故のなかから中程度や重大な事故を防ぐための「リスクの芽」を見つけ、つみとれるかがリスク・マネジメントでは大事だというお話です。大事故は突然起きない、必ず予兆があるので、それを見逃したり軽視したり対策を誤ったりしないためにリスク・マネジメントに取り組もう、ということです。
つまり、分からないことは分からないと言って質問できることや、ミスやミスにつながりそうなことを率直に仲間や責任者と共有し、対策を考えるほうがいいのではないかと提案できる環境を作ることは、「300のなかからリスクの芽を見つける」ことにもつながり、リスク・マネジメントにとても大切なことなのです。リスクだけではなく、「きらりと光るアイデア」もそこから見つけられるかもしれません。意見の多様性が排除されない環境は、リスクにもチャンスにも必要です。
私は、この「心理的安全性」が全く感じられない職場を経験しましたが、その職場はとても働きづらいものでした。その雰囲気を作り出している人たちの仕事ぶりは「なぁなぁな“お友達”どうしのままごと」のようでした。たとえば、ある企画案について、もう少し具体像を知りたくて会議で質問した「だけ」で「文句」を言ったとみなされ、会議であからさまに不機嫌・高圧的になる人々に辟易しました。今思うと、あの人たちは「具体的な企画案」を持っていなかったのかもしれません。いずれにしても、私もその人たちが担当する企画には「もっとこうしたらよくなるのでは?」とか、「こういうリスクを考えておく方がよいかもしれないと思いますがどう思いますか?」という提案は控えるようになりました。「言ってもしょうがない」という気分になるのです。心理的安全性を感じられなくなった他の人たちも、程度の差こそあれ、同様の気持ちを抱いていました。
心理的安全性を醸成する
このような自分の経験からも、私はNPOなどのみなさんと継続的にリスク・マネジメントへの取り組みで関わらせていただく場合は、この「心理的安全性」を組織の中でいかに醸成するかに、力を注ぎます。
たとえば、最初は「こんな初歩的な質問をしたら仲間から呆れられるのではないか」、「今までのやり方を変えることになったら、どう変更するかを決めて、それに慣れるまでも大変だ。ただでさえ忙しいのに、何か違うことをしようとはとても言えない」という遠慮や配慮は無用だということや、他の人も「その初歩的な」ところを案外知りたがっていることが多いことを説明します。集団のなかで意見を言いにくい人や、普段自分はフルタイムで関わっていないから他の人のことを良く知らないので意見が言いにくい人など、その人の性格や組織の中の立場によっても意見が言いにくい人もいますので、場合によっては個別に時間をとってお話することもあります。今は新型コロナウイルス感染状況も考え、オンラインのビデオチャットなどの方法が多いです。
いずれの場合でも、質問の例を出したり、テーマを区切ったりしながら質問や意見、要望などが出やすいようにし、発言をしてくれたことや「気づき」を共有してくれたことに感謝します。そこから「そういえば」と他の人からも話が出るようになれば、「心理的安全性」醸成への種火がつきかけたとも言えます。
1回だけではうまく行かないこともあります。また、ただ言わせっぱなしではダメです。その人の意見や疑問などを責任者に伝えます。個別面談(今は直接会うのではなくビデオチャットですが)の場合は、その場に他の人(とくに責任者)がいない安心感から私に話してくれたこともありますので、言った人の了解を得て、何をどのように責任者に伝えるか工夫します。すべてが、その人の要望通りになる、あるいはすぐに検討されるとは限らないけれど、検討はされることや、場合によってはすぐに責任者が動いてみんなで新しいルールを決めようと話し合いがもたれることがあれば、「ああ、こういうことを言ってみてもいいんだ」という気持ちが、そのメンバーだけでなく他の人にも芽生え始めます。そうすると、そのうち私を通さなくても担当者どうし、あるいは責任者に対しても直接言えることも増えてきます。すると、「ご用聞き」としてみなさんを盛り立てていた私の役割は減り、新たにでてきた議論や質問に、リスク・マネジメントの観点などから調べ物をしたり回答をしたりという役割にシフトしていきます。スタッフの出入りもありますし、新しく認識されるリスクもありますので、「ご用聞き」の役割がなくなることはありませんが、このシフトを繰り返しながら、その組織のリスク・マネジメント能力が高まっていくことを期待していますし、それが実感できるときが「この仕事をしてよかった」と大きな喜びを得るときです。
とにかくいつでも「他の人に言ったと知られたら恥ずかしい」と思ったら私に直接連絡するようにと、機会あるごとにスタッフの皆さんに伝えています。「NPOリスク・マネジメント・オフィス」の「オフィス」は、私が一緒に活動させていただく組織にとって、「外付けのリスク・マネジメント部門」と考えてほしいという想いが込められています。外付けですが、本体とは切り離されていません。外部の人間ではありますが、常に一緒にいますということです。
リスクもチャンスも
さまざまな意見が出ることが歓迎される、つまり「心理的安全性」がある組織は、常に「これでいいのか」と問い続けることになるので、関わる人たちが、リスクもチャンスも、より多角的に考えることができる傾向にあると思います。
最近、『恐れのない組織――「心理的安全性」が学習・イノベーション・成長をもたらす』という本が出版されました。私は入手して読み始めたところです。著者はハーバード・ビジネススクール教授で「心理的安全性」を最初に提唱したエイミー・C・エドモンドソン氏。私は本を読むスピードが遅いので、これから入手された方でも私より先に読了される方も多いかも・・・。翻訳書ですが日本語も今のところとても読みやすいです。ほかにも心理的安全性に関する本はいろいろありますので、みなさんもよかったら、どれか1冊手にとってみてはいかがでしょうか。
心理的安全性については、折を見てまたお話したいと思います。
(中原)