「ためらわない」こと。

あっという間に金曜日、あっという間に月末です。来週からは3月。別れや旅立ちの季節でもあります。今年は卒園式や卒業式、送別会などはまだ難しい、というところが多いでしょうか。緊急事態宣言が解除される地域が増えますが、密をさけながらも

今週は、私事ながら同級生などの訃報が立て続けに続き、いろいろと考え込む1週間でした。若くして亡くなった方ばかりでした。さらに、岩手県陸前高田市で大変お世話になっていた方が亡くなって1年経ち、亡くなる1カ月ほど前にお電話で話したことなどを思い出していたときでしたので、なおさら、気持ちが沈んでしまいました。

こういうときは無理に気持ちを上げようとせず、目の前のことに一つずつ取り組もうと思います。

そう思っていただなかで、以下のニュースを目にしました。

てんでんこ「聞いたことない」38% 全国調査、被災3県と開き (岩手日報、2021年2月24日)

津波の際は、それぞれが「てんでんばらばら」避難すること、つまり、自分の命を自分で守るために高台に避難しなさい、ということです。家族などを助けに戻ってはいけない、戻らなかったことを責めてはいけないという意味でもあります。

初めて聞く人のなかには「なんと非情な」と思う人もいるかもしれません。実際には、何もしないのではなく「高台に逃げろ!」と声をかけたり、近くにいる人たちと避難するということはあります。東日本大震災のときにも近所のお年寄りなど身体の自由がきかない人を助けながら避難したりとされていました。「津波てんでんこ」を守り、声かけしながら率先して避難することは「あの人も避難していないから私もこの場にいて大丈夫」ということにならず、結局は、この非情かと思われる行動が周りの人たちの命を守ることにもなるという、先人の教えです。

先日亡くなって1年が経った方は、語り部ガイドをされていました。私は、その方からこの「津波てんでんこ」の考え方を学びました。

この「てんでんこ」という言葉を聞いたことがないという人が、岩手日報社などの全国の地方紙が実施した防災アンケートでは、38.3%に上ったとのことでした。東北地方で伝わる言葉だと思っていたので、全国的に知名度がなくても仕方ないかなと思いました。むしろ驚いたのは、被災3県で震災後にこの言葉を知ったという回答が57.8%あったということです。もしかしたら、沿岸部では伝わっている教訓で、内陸部の方々はあまり知らないことなのかもしれません。

津波てんでんこは、命を守るために「ためらわない」ことの大切さを教えてくれる言葉だと思います。

今週立て続けにまいこんだ訃報について、それぞれの方を偲ぶ言葉とともに「あのとき連絡しておけばよかった」、「会っておけばよかった」という無念さだったり、「これからは会いたいと思ったら会う」という表明だったりを目にしました。

東日本大震災のときに、私もそのことを強く思いました。また、知り合いの訃報が届くたびに思います。「悔いのないように生きよう」、「忙しいことを言い訳にするのはやめよう」と、思うのです。そして自分が自分の人生の終わりを意識したとき「ああ、あのときああしておけばよかった」と後悔したくないとも、思います。「明日という日が来ることを当たり前に思ってはいけない」と、やりたいこともやると思った方もいました

しかし、そのうちにまた「ま、今日はいいか」と思い始めてしまいます。

実際には、私たちは、何にでも全力で向き合い、取り組むことは無理なのかもしれません。それでも、「あのときのためらい」が、取り返しのつかないことにならないようにと、私も「悔いのないように」という思いをいだきながら、故人の生前を偲びました。

東日本大震災からもうすぐ10年になります。あらためて、命の大切さや時間の大切さ、人とのご縁のありがたさなどを感じる時期にしたいと思っています。

さきほどの「津波てんでんこ」の調査結果を掲載した岩手日報では、3月11日を「大切な人を想う日」にしようと呼びかけ、今年2月17日に岩手県議会が3月11日を「東日本大震災津波を語り継ぐ日」と定める「東日本大震災津波を語り継ぐ日条例案」を可決しました。

~3月11日を「東日本大震災津波を語り継ぐ日」に~ 岩手県が条例を制定

震災を風化させないことが、次のどこかの災害で誰かの命を守ることにもつながるのだと思います。その「誰か」は、あなた自身かもしれません。「東日本大震で被災者ではないから」、「地震や津波はあまり関係ないから」と思わずに、東日本大震災その他の災害の被災者の方々の経験から学ぶ姿勢を失わないことが重要です。

それでは、みなさま素敵な週末をお過ごしください。

(中原)