20周年のお祝いコメントご紹介⑤:服部篤子さん

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こんにちは。空が暗くなるのが少し遅くなってきたなぁと思う今日この頃です。

最近、オンラインでのセミナーやシンポジウムの受講が増えてきました。これからは、あと1カ月で東日本大震災から10年をむかえるにあたり、復興や防災・減災など、いままでを振り返ったりこれからを考えるイベントが多く開催されます。移動時間を考えなくていいからと、つい、いろいろ申し込んでしまうのですが、体力と予定も考えながら参加を決めないといけないと実感しています。

さて、12月から続けてきました、NPOリスク・マネジメント・オフィス開設20周年にあたって寄せていただいたコメント紹介ですが、今回は、服部篤子さんです。

NPOリスク・マネジメント・オフィス代表
中原 美香 さんへ

出会いは20年以上前でしょうか。リスク・マネジメントが企業でさえも、あるいは公益を担う組織では論点とされていなかった時期に、その重要性を訴えてきました。そして、非営利組織においてのリスクとは何か、そのために何をすればいいのか、出版や講演を通じて問題提起をされてきたと記憶しています。

この新型ウイルス感染症がひろがる現在にあって、まさに、我々は何をリスクと考え克服しなければならないのか、どうやって危機を乗り越えるのかを教示いただきたいと思います。

その後、思い出深いのは、ピーター・ドラッカー宅を一緒に訪問したことでしょうか。中原さんはドラッカーが教鞭をとり続けたクレアモントで学ばれたこともあり、現地を案内いただきました。既にピーター・ドラッカーは他界していましたので、夫人のドリス・ドラッカーを訪ねました。ピーター・ドラッカーが過ごしたご自宅というだけでワクワクかつ、緊張しました。当時90代だったかと記憶しますが、ドリスは聡明で快活な印象でした。依然スポーツをされ、日本車の車を乗っていらっしゃるご様子は本当に驚きました。このような年の重ね方があるのかと。最も大切な思い出の1つです。

さらに、近年は、中原さんが東日本大震災の訪問を続けてこられる中で、何度となくご一緒しました。暑い夏に、中原さんが現地の祭りに参加している姿や学生の指導の仕方が印象的でした。すべての活動が体当たり。

20年を経て、複数のNPONGOと関わりこれまでの市民社会に貢献されてきました。これからの10年、20年、どのような社会を目指して活動を続けていかれるのか、期待するとともに、これからも学ばせていただきたいと思います。

感謝の気持ちを込めて、お祝いのメッセージに
服部篤子

服部先生(最初にお会いしたときからこの呼び方なので、こう記すことにします)は、非営利セクターだけでなく、ソーシャルイノベーションや社会起業等の分野にも精通されていらっしゃいます。先生は現在、同志社大学大学院総合政策科学研究科で教鞭をとられるほか、日本ソーシャルイノベーション学会の運営など、多くのとりくみをなさっています。

ピーター・ドラッカー博士と長年連れ添われたドリスさん自身も、起業家でした。2014年に103歳でお亡くなりになりましたので、私たちがお会いしたときは90代後半でしたが、ドリスさんと昼食に出かけるときに「私運転しましょうか?」と当たり前のことのように提案されたことや、「週2回トレーニングしている」と言って腕の力こぶしを見せてくださったことにも驚きました。その後一緒に活動することはかないませんでしたが・・・。

服部先生はまた、一般社団法人DSIAを立ち上げられ、私もDSIA等を通じて服部先生とは、さまざまな形で活動をご一緒させていただいています。先生のネットワークやバイタリティには驚かされてばかりです。

DSIAの活動として、服部先生とは、岩手県陸前高田市でも復興支援としてNPO支援のために海外から寄付を募る活動にも取り組みました。私も別のかたちで陸前高田市の方々や陸前高田市で活動していらっしゃる方々とのご縁もいただいています。いまはコロナ禍で現地には迎えませんが、つながり続けられるよう、新たな取り組みも模索したいと思っています。

服部先生、お忙しいなか、心のこもったお祝いメッセージをありがとうございました。これからも一緒にご活動できることを楽しみにしています。

(中原)