『《a hope of NAGASAKI 優しい人たち》』上映会から考える「つながりの大切さ」

nagasaki

映画そして上映会について

去る4月10日(日)、私が関わっているJAPA(Japanese/American Peace Alliance、日米平和連合)という日本人とアメリカ人を中心としたボランティアグループで『《a hope of NAGASAKI 優しい人たち》』というドキュメンタリー映画の字幕付き上映会を開催しました。開催にいたった背景は、こちらでも紹介しています。日本やアメリカ、インド、フランスなどから、30人を超える方々の参加がありました。日本は日曜朝8時からの開催でしたし、アクセスする場所によっては早朝や深夜というところもありました。

このドキュメンタリー映画は、長崎でのご自身の被爆体験をマスコミに話したことのない10人の方に戦後75年経ってインタビューしたようすなどをまとめたもので、昨年公開されました。取材を受けた方のなかには、家族など近しい人たちにも詳しく話したことはなかったという方もいらっしゃいました。

今年2月のロシアによるウクライナ侵攻をうけて、一部の映画館では緊急リバイバル上映されました。そこで、海外の人とも一緒に見て戦争について考えようと、監督や配給会社の方々などのご厚意をうけ、英語字幕付きで無料オンライン上映会を開催するにいたりました。

映画では、長崎に原爆が落とされたときのご自身や周りの様子だけでなく、戦時中の日本の憲兵のようす、被爆者ということでやっかい者扱いされたりいじめられたりした経験など、が語られ、どのお話も強烈でした。一方で終戦後やってきたアメリカの軍関係者が優しくて、チョコレートやキャンディをくれた話や、当時は曲名も英語の歌詞も分からなかったが、ピアノを弾いてくれて一緒に歌った経験などを、懐かしそうに話されてもいました。ちなみにその曲はあとで「きよしこの夜」だと分かったそうです。

アメリカ人への恨みはない、悪いのは戦争だとみなさん語っていました。

上映会に参加された皆さんは、原爆投下が長崎に、そして被爆者にもたらした影響の大きさに驚くとともに、それでも戦後のアメリカ人との経験をときには懐かんでいた被爆者のみなさんから、平和に必要なものは何か、自分はいま何ができるのかと、考えてくださったようでした。

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個人的な実体験が印象を塗り替える

このイベントには、本作品の監督である松本和巳さんにもご参加いただき、作品に関するエピソードやコメントをいただきました。今回インタビューした被爆者の方からアメリカ人への恨みの言葉が聞かれなかった点について、松本監督は「時間が経過したことや、国民性あるいは地域性などもあるかもしれないが、人とつながることで印象が変わるのではないか」と指摘されました。インタビューに応じたみなさんが、戦時中には鬼畜米英だと教わっていたのに、アメリカ人との戦後の個人的な実体験によって植えつけられた偏見や憎悪の感情が好意的なものに塗り替えられたのであれば、戦争や争いが起こる前に個人レベルでつながっていることは、ある集団への憎悪をたきつけるような極端な(あるいは誤った)情報や煽動に踊らされず、戦争や争い、憎悪や偏見に対抗する地道で地味でシンプルながら有効な方法になりうるのではないでしょうか。

松本監督は、今、この時期こそ「ウクライナの人たちにくわえ、良識あるロシア人ともつながること」が大切であることも指摘されました。ロシア人だからと敵対視するのではなく、ウクライナへの攻撃に反対していたり、自分や自分の大切な人たちに危険が及ぶのを恐れて戦争反対とはっきり言えなくても戦争に反対したり平和を願う活動をしたり、ウクライナ人や他の人たちと助け合って暮らしている人たちもいると知ることは、私たちが本当に問題としなければいけないことは何かを理解することの助けとなります。そうすれば、日本の鉄道駅のロシア語表示を不快だと抗議して撤去させようとすることが戦争を止めたり平和を実現したりすることには決してつながらないと分かるのではないでしょうか。

上映会では「この映画をもっと多くの人たちに見てほしい」という発言も多く、実際に、ヨーロッパなど、海外でこれから観られるように交渉が進められているそうです。

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つながりの大切さ

終戦後日本に来たアメリカ軍や政府関係者全員との経験が、誰にとっても良いものだったとは限りません。身内や大切な人を戦争で失った人たちのなかに、敵国だったアメリカから来た人を許せない人がいても、それも十分理解できます。各人が経験したことや、そこから感じたことは、本人にとってはリアルであり、その感情は尊重されるべきだと思います。受け止める側としては、どこか極端な考え方に着地するのではなく、世の中にはいろいろな人がいて、いいこともそうでもないことも私たちは経験することを受け入れることが大切ではないでしょうか。そのためにいろいろな人たちとつながっていたり、多様な考え方や情報にふれていったりすることが大切です。

私たち個人や私たちが住むまちや国、世界にとって、「つながること」がさまざまな意味でセーフティーネットとなると考えています。多様性に寛容で、困ったときや辛いときにもなんとかなりそうな気がする社会は、結局は全員にとってwin-winではないかと思うのです。それが社会的にもリスクヘッジになりえます。自分も他人も追い詰めないことが、寛容で柔軟で、多くの人にとって住みやすい社会だと思います。

私にとっては、このような基本的な社会でのリスク・マネジメントが、市民活動やボランティア活動、そして私たちのくらしの根底にあります。「つながること」が私たちの平和にとって重要であるという話を、これからもさせていただくと思いますが、今回の上映会やウクライナ情勢が刺激になって考えた点について、次回も少しお話させていただきたいと思います。

もう少しお付き合いいただければ幸いです。

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(中原)