【雑談】NPO法以前の活動の一面を思い出しました。

あっという間に11月も終わりに近づいてきました。

12月1日は、特定非営利活動促進法(NPO法)が施行されて23年の記念日です。NPOリスク・マネジメント・オフィスも2000年のこの日が誕生日です。

その12月1日が近づいてきたなぁと考えていたのと、最近ご依頼をうけた原稿を書いていたのとで、「NPO法以前」のことを思い出しました。まったくの雑談になりますが「あの時はこうだった」という話をしてみたいと思います。当時をご存知の方は「そんな感じだった!」とか「ほかにも、こんなこともあった」と思われるかもしれません。今も変わらない部分もあれば、最近NPOに関わり始めた方には信じられないこともあるかもしれません。

1990年代後半、財団法人や社団法人、社会福祉法人などはありましたが多くの草の根の市民活動団体は任意団体だったころ、法人格がない=契約の主体になれないということは珍しくありませんでした。政府や自治体の調査事業などで、実際は市民活動団体が調査をし、調査結果をまとめていても、政府や自治体と直接契約を結べないので、間に営利企業のシンクタンクや財団法人、社団法人などの非営利法人が「間に入っている」こともよくありました。そうすると、できあがった調査報告書は、省庁や自治体などが発行元で、委託先としてシンクタンクなどの法人名が掲載されていました。報告書の巻頭あるいは巻末に「調査協力」として市民団体あるいはその団体の代表者の名前が記載されていればいい方でした。実績が公式にはカウントされないから、任意団体の実力や実績も社会的に認識されない・・・と、当時、NPOにとって悪循環に陥っている気がしました。

銀行口座も、任意団体なので銀行などの口座名義は団体名につづき代表者や会計担当者の名前を入れないと口座が開設できないこともありました。電話回線(当時は、電話加入権を得て電話回線を開設することが普通でした)は完全に個人名でということもありました。名義の方がお辞めになると名義変更の手続きが必要になります。もしお亡くなりになった場合は、さらに複雑な問題が生じることもありました。

大量発送するニュースレターやお知らせ、チラシを印刷するのに、私の場合は飯田橋の東京ボランティア・市民活動センターの印刷機利用の予約をして、(印刷量が多いときはキャリーケースで)OA用紙を持って行き、リソグラフで版下を作りコピーしました。A3用紙にA4用紙2枚のニュースレターを配置していくときに、ときどき左右を間違えて版下を作り直したりました。折り機で折ってニュースレターの形に製本したり、チラシを三つ折りにしたりもしました。次は宛名ラベルの印刷。それを封筒に貼り、封入作業へと続きます。封入する資料の順番を決めてセットをつくったり、効果的な糊付けの方法を教え合ったりしながら、スタッフもボランティアもワイワイとテーブルで作業する時間は、活動に関する情報を共有したり、お互いを知り合うよい機会でした。休憩や作業後のお茶タイムもセットでした。

外部の方へお電話すると、団体名を伝えてもご家族や勤務先の方が「はい?」という感じになったり、ボランティアの方の自宅への連絡も「家族に団体名言っても伝わらないし何かの勧誘と間違われるので、個人名でお願いします」と言われたりもしました。なんだか「地下組織」に所属している気分になることもありましたし、いろいろな団体でシェアする資料やグッズであふれた共同事務所は、「オフィス」というよりは「アジト」と呼ぶ方がしっくりしました。

イベントでは「イベント終了後みなさんでネットワークできるように」と、参加者の氏名や所属団体、連絡先などが配られました。

なんだか、どこかのんびりしたところもあった気がします。まだまだ思い出すこともありますが、決して「昔はよかった」という意味でこの記事を書いているわけではありません。20年くらいで、世の中もですがNPOを取り巻く環境がずいぶん変わったなぁと、他の原稿を書いていていろいろと思い出したので、つい、つらつらと書きたくなってしまいました。

いまでも、法人格を持たない任意団体の銀行口座では同様の状況だと思いますし、東京ボランティア・市民活動センターでのリソグラフ利用もできます。参加者名簿の配布も、参加者が同意すれば可能です。別にここで挙げさせていただいたことは「過去のこと」ではなくて、今でも市民活動に必要なことなのです。また、ここに書かれていることで当時の市民活動を伝えられるものではないのですが、いろいろ思い出して懐かしく感じたことをつらつらと書いた次第です。おつきあいいただき、ありがとうございます。

ご依頼いただいた拙稿は、後日、公開されると思います。そのときにまたご紹介させていただきます。

それでは、みなさまよい週末をお過ごしください。

(中原)