満ちようとする私たち:『みかづき』

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昨日6月10日は新月で、世界の一部では金環日食が起きていたのですが、日本では見えませんでした。

そんな新月の日に『みかづき』 (集英社文庫))という小説を読み終えました。数年前に本屋大賞2位になり、永作博美さんと高橋一生さん主演でテレビドラマ化もされた作品です。友人に教えてもらい取り寄せたのですが、600ページを超える文庫本を前に圧倒され、しばらく手に取れないでいました。私は本を読むスピードが遅いので、いったいどのくらいで読み終えられるのか・・・と思うと気が遠くなりましたが、読み始めるとひきこまれ、次の展開が気になってなかなか本を置けませんでした。

『みかづき』

この小説は、一言で言ってしまうと「約50年にわたる、ある一族と、その一族が経営する塾を中心にすえて教育や家族のかたちを描いた作品」ということになるでしょうか。スタートは昭和36年といいますから、1961年。勤務先の小学校の授業についていけない子どもたちに勉強を教えていた用務員・大島吾郎が、その学校の生徒である蕗子の母親・千明に見込まれて千明の学習塾で教えるようになるところから始まります。吾郎と千明の間には蘭と菜々美の2人女の子が生まれ、蕗子たち3姉妹もそれぞれの道を歩みますが、千明はつねに自分のしたいことを達成させるために強引なやり方もいとわないタイプで、周りを巻き込み、人によっては振り回され、振り落とされていきます。千明の影響を最も受けるのが、吾郎であり、千明の子どもたちです。

塾の位置づけも、塾に行っているのが近所に知られると恥ずかしいから自分の子どもを行かせたくないという時代から、受験戦争に勝ち抜くために「分からない子がクラスにいると困る」と親がクレームを入れ始める、受験戦争に勝ち抜くための進学塾に熱のこもる時代に変わります。政府のコロコロ変わる教育政策にも振り回される塾を守るために進学塾に向かって舵をきり経営者として奔走する千明と、補習塾としての理想を追い続けたい吾郎の間には、やがて溝が生まれ、深くなります。そこから、さらに話が展開していきます。

思いがけず出てきた「ボランティア・マネジメント」

時代が移り変わり、3姉妹も大人になり、彼女たちにもそれぞれ子どもが生まれていくなかで、小説の「主人公」も移り変わっていきます。小説についてもいろいろふれたいことはあるのですが、NPO・NGO関係の話に限ってふれたいと思います。

この小説では、3姉妹のなかで環境NGOに関わり始める人が出てきたり、のちに吾郎も高田馬場駅近くの建物で国際協力NGOに関わるようになったりしていきます。「高田馬場駅近く」と聞くと、つい「アバコビルかしら?どの団体に関わったのかしら?」と想像してしまいます。

さらに大島家からは、生活困窮家庭の子どもたちを対象にした学習支援ボランティア団体を立ち上げる若者が出てきます。かつてグリーンピースの活動に関わっていたという、週末に自社ビルを活動場所として団体に提供している会社社長は、ある日、この団体の代表に、ボランティアの大学生たちが最近「疲労感を漂わせている」と心配ごとを告げます。活動が増えてきて活動や会議に時間をとられるだけでなく、交通費や活動費も自己負担というのは学生たちには厳しいのではないかと、指摘します。

この社長は、代表自身が忙しくて細かいことに目が行き届かないことにも理解を示しつつも「ボランティアの負担量が一定量をこえると、その先にあるのは空中分解だけです」と明言します。「長期的に活動を続け、規模が拡大していくと金銭的な後ろ盾が必要だ」と、ボランティアの「善意」に頼りすぎるだけでは活動は続かないとマネジメントの必要性を説いているあたりは、小説の本筋とはまた別に、惹きこまれたところでした。「生活困窮家庭の子どもたちからお金はもらえない」という代表に、さらに社長はスポンサーを探すよう助言します。しかし決して威圧的にならず、その場で自分の助言通りにしますと言わせようとはしない姿勢に、人生の先輩の鏡だなと思いました。今だったら、クラウドファンディングも利用するところでしょうか。

この小説は、綿密な調査と丁寧に描写されている登場人物によって、とても素敵な作品になっていると思いました。学習支援やボランティア活動については、巻末を見ると「NPO法人キッズドアの渡辺由美子代表と先生方」への謝辞が述べられていたので、キッズドアのみなさんへのヒアリングも活かされて、NPOやボランティアの活動の部分にもリアリティが感じられるのかもしれません。ときどき「とってつけたように」NPOやボランティアの話が出てくる小説やテレビドラマなどがありますが、それらとは一線を画している気がしました。

満ちようとする私たち

この小説には『みかづき』というタイトルからもあるように「教育において学校が太陽で塾が月」など月が比喩として使われたり、登場人物が空の月を見上げたりと、大事な場面に「月」が出てきます。また、吾郎は昔、千明を「永遠に満ちることのない三日月だ」と表現したこともあります。教育施策に関する文部省(当時)への怒り、自分が思ったように周り(とくに家族)が動いたり考えたりしないことへの不満や焦りなど、千明は自分の信念に突き進んでいるように見えながらも、彼女の心が満ちていると思える時は少ないようです。

この本を読みながら、千明のことを考えるとき、いつしかPrinceの「When Doves Cry」(邦題:「ビートに抱かれて」・・・このミュージックビデオを初めて見たときの衝撃と80年代の洋楽・洋画の邦題は話すテーマとしてはまた独立して成立しますが、ここではスルーします)にある”She’s never satisfied”(彼女は満足したことがない)という歌詞を思い出すようになりました。この本を読んでいるときにちょうどプリンスの誕生日(6月7日。存命なら63歳)をむかえたので、彼の音楽や動画、エピソードを見ていたことも影響したのかもしれません。

コップに水が半分「残っている」と見ることから半分「しかない」と見方を変えるときにイノベーションが生まれると述べたのはピーター・ドラッカーですが、千明をはじめとした『みかづき』に出てくる中心的な登場人物は、この「空」の部分を満たそうとしていたのだと思います。社会的な「空」の部分を満たそうとする人たちの苦悩や達成感に、ついつい感情移入してしまいました。私たちはみな、常に満ちようとする三日月なのかもしれません。個人的に満ちようとするだけでなく、社会的に満ちようと考えるとき、そこにNPOや地域活動、ボランティア活動などの役割が期待されるのではないでしょうか。

『みかづき』には、企業のCSRや生活困窮家庭の学習ボランティアなども出てきます。もう少し小説が続いていたら、SDGsも出てきたかもしれません。また、コロナ禍によってあぶり出された、勉強を家でするためのパソコンやネット回線などの家庭環境の差なども、もし『みかづき』に続編ができれば、描かれたかもしれないと思いました。「大島家やほかの登場人物だったら、いま、この問題にどうアプローチするかな?」そんなことを考えながら読むのも、一つの楽しみ方だと思います。

エンディングも粋でした。もしよかったら、みなさんもお手に取ってみてはいかがでしょうか。

(中原)