7月26日:幽霊の日

木漏れ日

7月26日が「幽霊の日」(東京新聞の記事)と聞いて、ふと思い出したことを書き綴ってみようと思います。

7月26日が幽霊の日なのは、1825年のこの日に、「四谷怪談」としても知られている「東海道四谷怪談」が歌舞伎の演目として初めて公演されたためだそうです。いまでも歌舞伎で公演されるときには関係者のみなさんがお岩ゆかりの寺社におまいりするようすがニュースになったりします。

浮世絵や日本語には、幽霊画と呼ばれる幽霊が描かれた作品があります。幽霊の日にちなみ、太田記念美術館はTwitterで落合芳幾の幽霊画を紹介しました。幕末から明治にかけて浮世絵師として活躍した落合芳幾が描いたこの絵では、幼い子どもたちを残して亡くなった母親が幽霊となって寝ている子どもたちのもとへ現れ、下の子にほおずりしています。それを知る由もない子どもたちのスヤスヤ寝ている顔と、幽霊として現世に現れた母の表情の対照的なところが心に響きます。布団で寝ている年上らしき子の左手は、母親の着物に触れているようにも見えます。

「幽霊でるのかな」

幽霊という言葉に関して、私には悔いが残る経験があります。

東日本大震災で津波による大きな被害があった場所に、大学生が小学生と共に行くプロジェクトを実施していたときのことです。私はコーディネーターとして、(小学生を引率する)大学生を引率していました。2014年ごろです。土地のかさ上げはまだ本格的には始まっておらず、かつて町並みや人々の暮らしがあった場所は多くが更地となり、草が生えてきていました。

専用のバスで語り部の方とともに移動していたとき、知らない者どうしだった小学生たちも少し打ち解けてきて、緊張もほどけてきたのか、ある男子児童が言ったのです。

「この辺、幽霊でるのかな」

もしかしたら、実際に男子が口にした言葉は少し違っているかもしれませんが、このような趣旨の発言でした。その言葉に応答するように、数名の児童は笑ったり「でるかもね」と言ったりしたかもしれません。「しれません」というのは、私はまさに「フリーズ」してしまって、よく覚えていないからです。自己保身するならば「活動の形式として大学生が引率だから、私があまり出しゃばってはいけないのではないか」と思い、学生の出方を見ていたと、説明可能かもしれません。しかし、現実は、想定してなかった事態に私は思考停止してしまったのです。

ページトップへ

何を話せばよかったのか

その場で「失礼だよ」とか「まじめに参加して」と叱るのがよかったのでしょうか。そのとき何か言うべきだった、だけど何を言えばいいか分からなかった。私の力不足、準備不足を実感した瞬間でした。このプロジェクトに参加した小学生の大半は、(時折ふざけることはあっても)語り部の方や地元の方の話を熱心に聴き、また感じたことを帰ってから親やクラスメートに話し、なかには家族でこの地を訪れたりしています。決してふまじめで、からかい半分に参加した子どもたちではありません。それに「幽霊でるのかな」という言葉が、ふまじめだと決めつけることも、なんだか違うと、ロジックでは説明できなかったのですが、直感的に感じていたのです。

このことについて、小学生や大学生と、話すべきでした。しかし、できませんでした。私のなかでの混乱や迷いが大きすぎたのだと思います。

夏休み中に小学生が参加するイベントということで、熱中症対策など安全面のリスクについては、大学生とともに考えたり、関係者・協力者の方とも連携体制を整えていました。また、ご自宅が被災を免れた方のお宅で小グループに分かれてホームステイをさせていただいた年もあったので、そこで気をつけるべきことなどについても、かなり気を遣っていました。このように、リスクにはそれなりに対策を立て、またその場でも対処してきたつもりでしたが、小学生の「無邪気な」言葉への準備ができていませんでした。今でも、自分がどうすればよかったか、状況を含めてきちんと言語化して他の方と共有できていない体験です。

生と死、現実の「いま」と仮定の「いま」

東日本大震災の被災地で「幽霊に会った」という体験談を収集し、災害社会学という観点から考察し、金菱清氏は『霊性の震災学』(amazon.co.jpのアフィリエイトリンクで、書籍紹介のページに飛びます)を出版しています。怪談話としてではなく、金菱氏が大学で担当していたゼミの学生たちのいわばフィールドワークとして取材した話をまとめたものです。同氏は「生と死の<間>で成立する霊性から災害社会学を論じています。

私は、阪神・淡路大震災や東日本大震災などの被災地で幽霊の話などを見聞きしたことはありませんが、災害など、突然に自分の生活・人生から去ってしまった人や、今まで「あたりまえ」にあった暮らしや風景が奪われたとき、残された私たちは「生と死」を強く意識するのかもしれません。また「もしあの人が生きていたら」と思うとき、「あの人がいない世界」と「あの人が生きている世界」という「別世界」に想いを馳せることもあると思います。現実の「いま」と「もしあの人が生きていれば」という仮定のうえになりたつ「いま」という、2つの「いま」の間を行ったり来たりしながら、残された人たちは生きていて、そのなかで「幽霊を見た」とか「不思議な体験をした」という人が出てくるのかもしれません。

(東日本大震災でいまだ行方不明の方もいらっしゃいます。亡くなった方に対しての「いまあの人が生きていれば」というのとは異なり、行方不明の方に対しては「いまあの人がここにいたら」と思いをはせる方もいらっしゃると思いますので、そこはまた別のお話です。)

どんな形であっても会いたい人

先ほどの、私が言葉に詰まった「幽霊でるかな」という発言ですが、これだけは言っておけばよかったと少し後で思ったことがあります。それは「幽霊だとしても、会いたい人っているって、大きくなったら分かるよ」ということでした。私には、私たちが訪れた地の人たちがそう思っているとか、まるで被災者の方々を代弁するようなことはとても言えることではありません。あくまでも、私個人の、日に日に強くなる思いです。お世話になった語り部の方も数年前に他界されました。ほかにも、最近お世話になった方が他界されました。年を重ねると、こういう経験が増えます。「〇〇さんが生きていたら、こんな話もしたかった、こんな相談もしたかった」と、幽霊でも夢にでも、どういう形であっても会いたいと、思うのでした。

以上、とりとめのない話ですが「幽霊の日」に思った雑感でした。

ページトップへ

(中原)