法務省の人権週間動画から、共感とNPOのあり方に脱線。

12月9日は「ジェノサイド犠牲者の尊厳を想起しその犯罪防止を考える国際デー」です。12月10日は「人権デー」です。12月9日に「ジェノサイド条約」と呼ばれることもある「集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約(Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocide)」、そして12月10日に、国連の人権に関する諸条約・規約などの基本ともなる「世界人権宣言(Universal Declaration of Human Rights)」が、それぞれ第二次世界大戦での過ちを繰り返さず、平和と人権尊重の追求のために1948年の国連総会で採択されました。

アメリカのタクシー車内で

もう10年以上前になると思いますが、アメリカでタクシーに乗ったとき、運転手がルワンダの方でした。1990年代、ルワンダでは、フツ族とツチ族の対立で内戦が起こり、ルワンダではジェノサイドで多くの方が命を奪われたり、住むところを奪われたりしました。「ホテル・ルワンダ」や「ルワンダの涙」などの映画作品の題材にもなりました。ご覧になった方もいらっしゃるかと思います。ルワンダ内戦については、心のどこかで「遠い国のこと」に考えていたと思います。

アメリカで出会った運転手の方は、その内戦が原因で仕事がなくなり、単身アメリカに渡りタクシーの運転手として働き、ルワンダの家族を呼び寄せる日を待ち望んでるとのことでした。これが、私にとってルワンダ出身の人と初めて話した機会となりました。(今のところ、唯一の機会です。)話したといっても、タクシーに乗っているほんの数十分程度のことです。タクシーを降りてしまえば、二度と会うこともないだろう相手です。それでも、情報として知っているより、車内で会話を交わした相手の存在はリアルで、ルワンダ内戦の状況を聞いたわけでもないのに、自分のなかにルワンダとのつながりが少しできた瞬間でした。あの運転手の方が、いまは家族一緒に幸せに暮らせているといいなぁと、今でもたまに思います。

人権デー:「人権週間」最終日

日本政府は、人権デーを最終日とする1週間(12月4日~10日)を「人権週間」と定めています。世界人権宣言が国連で採択された翌年の1949年から毎年、法務省が人権尊重のための啓発活動を他の政府機関や自治体などが実施しています。

今年も 「『誰か』のこと じゃない。」がテーマです。

啓発動画では、セクシャル・ハラスメントやDV、いじめなどの辛い経験を職場や近所などにいる人が主人公です。主人公がその辛い経験をしている人の状況に気づき、声をかけ、行動を一緒に起こそうとしていました。その意味では、この一連の啓発動画は「今、まわりに人権侵害で辛い体験をしている人がいるかもしれない『あなた』」を対象に作られたということになると思います。

この動画の「辛い体験をしている本人ではない人」は、「なんとかしなきゃ」と行動するのですが、1つだけ安心したことがあります。それは、この動画で主人公から「(あなたの気持ちが)分かる」という言葉が出なかったことです。

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「共感」だけで活動の仲間を作るのは難しい

私たちは、他の人たちの気持ち、とくに他人の辛さは本当に分かるのでしょうか。「絶対分からない」とは思いませんが、「分かる」とは簡単に言えない(思えない)とも思います。NPOやボランティアの活動との関わりが長くなるほど、共感という言葉に難しさを覚えるようになりました。

「共感」には大きく分けて2つの種類があると思います。「あの人が辛いということが分かる」という共感と、「その辛さの内容や度合いが分かる」という、疑似的な追体験のような共感です。後者の共感は、とくに感じることが難しい気がします。NPOやボランティア活動で相手に後者の共感レベルまで求めると、なかなか一緒に活動する人や自分たちの活動を支援する人を増やすのは難しくなります。

共感が難しいからこそ、NPOが「共感できていると自分たちが判断できない人」を自分たちの仲間から排除したり距離を置いたりしてしまうと、自分たちのメッセージを拡散するチャンスを逃してしまいます。共感だけでなく、幅広い感情や関心でさらに多くの人たちとつながれるように、自分たちとは考え方や物事のとらえ方が違う人と一緒に活動できるようにしておいてほしいと思います。

「そんなことは当たり前だ」と思う人は多いかもしれません。しかし、実際は難しいものです。たとえば「新しいメンバーが増えない」と悩んでいるNPOのなかには、せっかく興味をもって活動に参加してきた人がいても「自分たちと同じように考えられない、動けない」と「十分な共感がない」と判断して新メンバーに強くあたったり、新メンバーが知らない昔の話を、新メンバーと共有する手間をかけずに「あの頃はこうだった」と内輪話としてもりあがってしまって新メンバーが居心地悪くなったり疎外されていると感じて離れてしまっているケースがよくあります。さらに参加期間短く離れたメンバーに「やっぱり新しく入ってきた人は自分たちと共感しあえない」と批判し、自分たちがもっと違う対応ができたのではないかと考えないまま同じことを繰り返す団体は、みなさんの周りにはありませんか?共感は素晴らしい感情ですが、純度の高い共感をだけを求めすぎてしまうと、かえって自分たちが社会的に孤立させるリスクになりかねないと思います。

「ジェノサイド犠牲者の尊厳を想起しその犯罪防止を考える国際デー」と「人権デー」そして「人権週間」から話が脱線してしまいました。最後に、人権週間の話に戻って、「誰か」のことじゃない、ということで、ぜひ、法務省そして日本政府にも人権侵害に関して見て見ぬふりをせず、アクションをおこしていただければと思います。

(中原)

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