願いはただ。
今日は、東日本大震災が発生してから10年ということで、多くの方が何らかの発信をされていると思います。
あの日、報道されていることを理解するのを脳が拒否している気がしました。信じたくないという気持ちでいっぱいでした。被災者ではない私がそう思ったのですから、被災された方々のあの日からの10年はいかばかりかと思うと、自分が想像しきれていない、理解しきれていないと思うがゆえに辛くなります。この辛さは、毎年大きくなっている気もします。
東日本大震災で亡くなった方と行方不明の方は、関連死の方を含めると2万2,200人(3月10日現在。関連死の方の人数は9日現在)、今でも避難生活をされている方は4万人以上いらっしゃるそうです。あらためて、亡くなった方へのお悔やみと、被災した方へのお見舞いを申し上げます。
10年経ったからといって、何か区切れるわけでもなく、復興が完了するわけでもありません。10年だからどうした、という気もします。去年は9年だったし、来年は11年です。10年後には20年。数字の区切りがいいから現実もそれについていくように何かが終わるわけでもありません。
とはいえ、10年の重みは感じます。そして、なぜかわかりませんが、私にとって今年ほど言葉が見つからない年はないかもしれません。
- 被災者としての「悲しい、でも前を向いていく」イメージなどが外から押しつけられませんように。自然災害のうえに人災がこれ以上重なりませんように。
- 被災者ではなく「10年前に震災を体験した」ひとりの生活者として、安心して暮らせる日が1日でも多くありますように。
- コロナ禍が落ち着いて、1日も早く、会いたい人に会っておしゃべりして、おいしいものをたくさん食べてこられますように。(ワカメ作業したいし、祭りにも出たい!)
- 災害や疫病がこれ以上、人と人、人と社会を分断しませんように。
- 差別やデマ情報がこれ以上、災害時に流れませんように。
- 大切な人や会いたい人との時間を後回しにせず、人生の優先順位を間違えない毎日を送れますように。
まとまりのないものですが、これが最近の私の願いです。
(中原)