ハッと気づかせてくれた動画

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早くも1月が半分、過ぎようとしています。

新型コロナウイルス感染拡大にともなう二度目の緊急事態宣言が発出され、また対象となる都道府県が増えました。首相をはじめ、何人かの政治家の方々の言動を見ていると、「ついていこう」という感じに世の中が動いていくのか、心配になります。

リーダーシップが適切に機能していない結果として起こりうることの1つが、分断です。組織のなかでも、社会のなかでも、「あのリーダーに任せていてはダメだ」と不平・不満が出てきます。また、他人の行動がいちいち気にさわって、時には攻撃的な言動を投げてしまうなど、ギスギスしてしまいます。社会的にも経済的にも、そして政治的にも劇的な好転が望めないならば、せめて、分断を招いたり溝を深くしたりしないよう心がけたいと思います。自分と環境の違う人がふだん何に困っているのか。社会で「マジョリティ」つまり、世のなかの仕組みや手に入るモノやサービスがデフォルトとして設定している集団に属していると気づきにくいことに気づくことも、そんな心がけのひとつだと思っています。分断は、何も差別や偏見だけでおきるのではなく、「知らない」ことからおきる部分もあります。

昨日、Facebookで見たある投稿から、聴覚に障がいをお持ちの方が、災害時に命にかかわる情報を得られないこと、避難所でもそのためにご苦労されていることをあらためて実感しました。

聴覚障害者の災害時に困ることって?パラパラ漫画

異変を知らせる音が聞こえないと、危険を察知できません。私は、そのことは「知っている」はずなのに、とてもハッとしたのです。危険だけではありません。避難所でパンの配布が始まるとアナウンスがあっても聞こえない。なぜ人が動いているか分からないわけです。「大人だったら、助けが必要だと、なんとかして知らせればいいじゃないか」という意見もがあるかもしれません。でも、人は、自分がいっぱいいっぱいになると、悪意はなくても他の人の事情まで考えられなくなります。殺気だったりもします。そういうなかで、障がいを持っていなくても、人に声をかけづらいこともあります。声をかけても気づいてもらえないこともあります。

この動画から、災害時ではなくても、たとえば電車などの交通機関が何か理由でダイヤが乱れているときなど、普段でもどう動けるかヒントをいただきました。ほかの障がいをお持ちの方や高齢の方、日本語が分からない方、あるいは健常者でもその土地に明るくない方など、災害や緊急時の情報が得られなかったり、情報を得られてもそれが意味することやその情報をどう判断したらよいか分からないという方は案外多いと思います。自分がそのような方すべてに何かできるわけではなくても、その場にいる人たちどうしで切り抜けられることもあります。「いざ」というときに、とっさのことでうまくできるか自信はありませんが、この動画のことを思い出せば、私も一瞬まわりを見渡して状況が分かっていなさそうな人を見つけて近づいて声をかけられるかもしれません。この動画で、自分がいかに視野が狭くなっているか、それなのに分かった気になっているかに気づきました。

あさって1月17日、は阪神淡路大震災が発生して26年になります。あのとき被災した外国人の方々にむけて、支援情報などをさまざまな言語で提供するFMラジオの活動が、その後の日本での多文化共生の活動が大きく進みました。災害時に始まった取り組みが、地域を豊かにしてくれています。この26年、地震だけではなく多くの自然災害が日本各地を襲っています。災害は起きてほしくはないのですが、過去の災害の経験が、防災活動や災害時の行政機関などからの情報発信や被災者を支援するボランティア活動などで、被災者の困りごとへの支援の幅が少しずつ広がっていると思います。

そこで、「災害に備えることは何か、あらためて考える1月17日にしてみませんか?その備えについて考えるときに、非常持ち出し袋の準備や避難経路の確認などのほかに、自分の周りの人たちのことにも、すこし思いをめぐらせてみてはいかがでしょうか。

そして、もうひとつ大事なのは「私はいつも困った人を見かけたら助ける人」で、障がい者や高齢者、外国人などの方々は「助けられる人」という、関係を固定する前提では考えないことです。たとえば、どういう状況で自分は助けが必要な存在になるのか。そのとき、助けが必要だとどのように伝えればよいかなどについても考えてみてほしいのです。私たちは、常にだれもが「手をさしのべる側」にも「さしのべられる側」にもなるので、めざすのはその両方において達人になることだと思っています。 最後になりましたが、阪神淡路大震災で犠牲になられた方に心から哀悼の意を表します。

(中原)